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* thread: 日記  * janre: 日記

* category: 日記

2013.05.03 四日市ブロリストオフ会 

2013.05.04
Sat
22:39

四日市ブロリストオフ会参会者の皆さん!
めっちょお疲れさまでした!!!!!!!!!!!!!!!

オフ会も1年以上ぶり、カラオケも7年(だいたいで10年とか言うのはおっさんなんやって)振りでしたわw

じゃあ一人づつ挨拶をしないといかんかな?

・えるむ様
 噴水の周りをぐるぐるぐるぐる…それを遠くから眺めててすみませんでしたw
 
・酸素水様
 朝一貴公子は博多駅へ自転車で。故、半ば寝ているかと思えば突然のシャウト!
 夜は…フヒッ

・ダラックマ様
 代行代出しても良かったかなって、切腹しかけてるわ。
 せやな。北斗の拳アフレコとかやってふくやさんの腹筋終わらせよかw

・鐐様
 ラスボスかなんかか???写真の8割はあなたでできています。
 「次までにアイマス曲全部聴いといて」って言うたけど、きゅん!ヴァンパイアガールとHoney Heartbeatだけええわw

・うどん様
 声かっこよくて鶏…チキン肌だったわ。再フォロー感謝なんだが、ツイッター上とリアルの差がMVPだったわ。近々声掛けるわw

・天保様
 私が生涯で山を持っている人と言えば1人目になる。…それをよこせ!ぜんぶだ!
 それから、劇団四季のミュージカル、新鮮でした。さっきふわふわのお菓子も頂きました!京都のお菓子、大好きです。

・完ちゃん
 はるばる白浜からお疲れ様!やっと会えたね!俺という人物はどうだったかな?
 と~れと~れと~れと~れと~れと~れとぉれとぉれ!
 とぉ~れと~れと~れとぉれとぉぅれぇ~♪

さて。邦画と言うのは一番偉い人がスタッフロールの最後にくるって知ってた?

・ふくや様
 企画、予約、お弁当、ドーナッツ…本当に幹事お疲れさまでした。
 よし、今度からは幹事長と呼ぼうかしら?
 特にご用意していただきました食事に関しては、お母様にも感謝をお伝えしたい次第です。
 もう少し大きくなったら、ログハウスか海沿いの民宿とかで一泊オフを企画してもらおうかな…

ん~、色々言ってもアレやから、絞っとこうかな。

LOVEドッきゅんをニコマスで知ったって言ってたでしょ?
 
 あれは年に1度のニコマスイベント「iM@S KAKU-tail Party(通称かくてる)」の2010年開催の「DS & DSX」のうちの「DSX」のオープニングだったのよね。印象が強い理由があって、当初、かくてるって確か1パートしか無かったんやけど、この時から「Pが多すぎたので第2弾開催しまーす」が「DS」が終わってすぐやったから、テンション激上がりなのを覚えてる。
もう一つは不自然なガールのPVね。あれもここへ貼りたくてしょうがないんやけど、わかむらPも随分前に引退しちゃった時に合作以外みーーーーんな消しちゃって、今あいぽんの中にしか無いのよねw

完ちゃんはね、将来背広着て、エライさんとママの店行ったら歌える曲いっぱい知ってそうでめっちゃ羨ましかったわ。年輩の人ってスナックとか行って唄う歌とか決まってて、これは社交辞令では結構重要なのね。

…っと、ちょっと俺の7年とか言う皮が禿げてきたからここらへんにしとくわw

今回は俺以外皆さんブロリストであり絵師である故、みんなセコセコ絵を描いている横で盗んだマイクで歌い続けさせていただきましたwうん、やっぱみんな絵が上手すぎてもうだめですじゃwwww

最後に、写真のURLを以下に貼っておきます。8枚しかありませんが。

 ブロリスト四日市オフ会写真(圧縮)

尚、フリーストレージのパスワードはふくやさんからDMで届きますので、よろしくぅ!!!!!

ではみなさん、次また逢う日まで!!
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* thread: 釣り  * janre: 趣味・実用

* category: 日記

ハリスの話 

2012.05.06
Sun
03:00

普段、フカセ釣りをする時に忍ばせているハリスです。

P1020024.jpg
そう、TORAY GAIAXXばっかwwww

しなやかさには欠けるんですけど、根ズレに強いから2年間ずっと使ってます。釣具屋で安く売ってるとまとめ買いですね。
さて、見ての通り、基本的に2.0号以下ばかりを使います。これは、一時磯釣り師の中で流行った、いわゆる「細ハリス症候群」ですね。ただ、竿の選択的にやわい竿を使う事が多いので、掛けることを最前提にしています。
青色のファントムブルーは黒潮で晴れた日にかなり有効です。
和歌山の南紀でも、田辺湾と周参見では周参見の方が青く、田辺では雨が続くと濁ってしまうなど、潮の色にかなりの差があります。また、足場の高い磯では岩の前に出なければ釣りが困難な場合があり、どうしても魚から人の動きが見えってしまいます。
P1000528(1).jpg
↑濁った田辺湾 ↓周参見の黒潮

P1000989.jpg
動かんければいいんですが、そういうわけにもいきませんよね。
なので、極力「騙す」ためにハリスも色に馴染ませたこういう青色のものを忍ばせます。
事実、周囲でこういう色のついたハリスを使っている人はかなり少ないです。んまぁ、見老津では足元と言えば牛の首を除いてはサンノジばっかなんですけどね。

他のメーカーからは茶色系のハリスなんかもありますが、そちらはまだ手にした事が無いですね。
ただ、そういうものも含めて、もっといろんなもの使ってみましょうという話です。そう、私も含めて。
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* category: 日記

8月終わるぜ終わっちまうぜ―! 

2011.08.28
Sun
20:21

ブログを更新せぬまま何日も何日も丹念に寝かして…いたわけではございませんが。
いかんせん宣伝が入っちゃうとすっきりしないものでございまして、更新いたします。

夏休み、どうお過ごしになられましたか?

私?寝てたかったはずなんですけど、長期休暇って家にいると苦痛で苦痛で。
行き当たりばったりで博多と山形に行ってきました。

唐突にブラブラと行くのは、ストレスが最高に減りますが、お金も最高に減りますね。

次の遠出は少し時期を置いてからと、自粛したいと思います。
…とはいったものの、
釣りのシーズンですね^^
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* category: 日記

5月01日 仙台港~女川へ。 

2011.05.01
Sun
23:26

5月1日。
鳴子温泉に泊まった私。
朝、8時に目覚めて露天風呂へ。
案の定雨が降るなか、ゆっくり浸かった。

水を飲み、9:30まで更に寝た。
10:03に鳴子温泉発の小牛田行きに乗り、途中「みのり」を撮ったり前の日のブログを書きながらして小牛田で乗り換えしもって松島へ。

前日までにくにPにお願いして松島駅まで迎えにきて頂いた。はじめまして!

「被災地を迷惑のかからない程度に見て回りたい」という、もしかしたら不謹慎かもしれない私のその言葉に応えて頂いて、くにP号(Car)で海岸線を仙石線沿いに進んだ。

くにPには道中色々な場所を丹念に説明してもらった。
外洋と内湾では被害の著しい差を感じ、昨日と同じく「瀬戸際」を様々な場所で見る事となる。
道中、信号機が点かない主要交差点では警察官の方が慣れない手つきででも、四方から来る車をさばいていた。
仙石線も、被害が著しい場所は線路上に瓦礫•車があるままだったり、架線が寸断されていたり、復旧手つかずの場所も多かった。
途中、丘の上で難を免れたが姿が見えなかった205系が、低い位置に移動されて道路から確認できた時には、私もくにPも安堵した。

石巻を超え、万石浦に入ると女川発電所がある牡鹿半島が遮った事もあり、津波被害はほとんどなかった。それでも深刻なのは高潮位による冠水。波がきたのか高潮かは定かではないが、海岸線を走る石巻線も細かい漂流物があった。
この万石浦で海岸部へ歩いて出て、アイスとおにぎりを食べた。(順番は間違っていない)

海は穏やかだった。亘理の「鳥の海」と同じような地形で、外洋との入り口が狭いからであろう。

万石浦を超えると女川。ここで、何度かテレビで見た光景が目に入る。
高台の家まで波が来た跡があり、基礎しか残っていない場所が坂を下る前から始まっていた。海に向かってゆっくり広がる地形なのがよく分かり、その崖面のコンクリートには赤いスプレーで「がんばろう!」の文字も見受けられた。避難所だろうと思われる高台からは、何かの曲も聞こえた。
海岸部へ降りると、くにPには思い出深いマリンパル女川も見えた。
その周辺には90度に倒れるコンクリート製の建造物。

女川駅なはずの場所に駅舎はなく、かろうじて残った展示タイルを含めた床とエレベーター建屋、曲がったホームの屋根と線路。
駅すぐ隣の高い建物の14mくらいの位置まで津波が来たのであろう、ガラスが割れていた。

ときに地図というのは便利である。しかし、ときに地図というのは非情である。その地図に映し出されたものを、信じ難い。私は地図をしまった。

女川駅前の海岸にも足を運んだ。水が綺麗だ。自分のするフカセ釣りでは、もしかしたら思わぬ魚が入れ喰うかもしれない。
今日は大潮、満潮15:12。ほんの数分眺めただけで、近くに止めていた車の左半分が海水に浸っていた。
万石浦が冠水するかもしれないので早めに引き返した。石巻市に入る頃にはところどころ既に冠水していた。

行きは旧北上川を海岸線にかかる日和大橋から眺めた。帰りは日和大橋の一つ上流側にある石巻市外にかかる橋を渡った。橋の下流側にはあるはずの無い家が何件か、漁船と一緒に引っかかっていた。

桜のシーズンだからと、くにPは日和山へ案内してくれた。ここは石巻市の中でも極端に高い場所で、尾道の千光寺公園のような場所であった。頂上は桜が満開から2割りか散ったくらいで、ヒラリと舞う桜の花びらの向こうに石巻の全体を見下ろす事が出来た。
神社の境内から元気な声が聞こえるので行ってみると、石段の下の広場で、子供達が裸足で道着を着て太極拳をやっていた。その姿はどこかしら可愛い反面、背景に見える石巻の姿を背負うかのような気迫も感じた。

その後、奥松島、松島、塩釜、仙台港と案内をしていただき、夕方17時にくにPとお別れした。

今日も貴重な一日だった。先ほども言ったが、やったことは被災地を見て回ったに過ぎず、もしかしたら不謹慎極まりないのかもしれない。
しかし、ボランティア含めて、今回私が東北に来た理由は、現実を目の当たりにしないと、メディアだけでは現状が見えないのである。「現状を見る必要があるのか?」と言われれば、それは「ある」と答える。何年か後、いつか復興した街に行った時には、もしかすれば津波に対しての対策が出来ていないままになっている現状になるかもしれない。それだけは避けたい。その地でしか生きていけない人もいる。
わかめを採って生計をたてている人、牡蠣を養殖していたお父さん達が願うのは、もう一度同じ場所で漁業をしたい。今回水没した畑で農業をしていた人だって、店舗を構えていた人だってみな同じ。

被災地のほとんどは都会では無い。都会には無い団結力がある。だからこそこの方達をバラバラにするようなことがあってはならないのである。
たしかに人命が第一。しかし、生計の源「自然の中で働くこと」を断つ事は、
この人達の様々なものを断つ事になってしまう。

くにPが言っていた。「『とにかく生きて!』そう思った」と。

私は思った。今、復興という長期戦に立った被災地の心を救うもの。それを考えなければならない。相対的ではなく、絶対的に。課題が多すぎるだろう。復興には予想外の時間がかかる…それは現地を目の当たりにした人みんなが感じる事であろう。今、自分にできる事。今日強く感じた「団結力」を、現地の人だけで結成するのではなく、ボランティアでもいい、NPOでも個人でもいい、現地に応援に行く人達もまざって団結する。

公的に登録した上、復興に勤しむ人達の姿に期待して、個人宅の復旧依頼をお願いしてくださる被災された方の気持ちを思うと、それに応える事が力になる事は間違いではない。もちろん、他都道府県から様々な人が集まる事で不安やリスク要素もある。しかし、街のライフラインが機能再開している中、進んで「誰かのためになりたい」「力になりたい」そう感じた方の足止めをするかの様に、ボランティアを受け入れる事が出来ない体制と言うのが非常に残念である。しかし、これらはボランティア運営をしている各自治体や団体には一切責任も問題も無い。結局は政府の動きがはっきりすれば、やるべき時とそうでない時、やるべき場所ややるべき事などが明確になって混乱も最小限度に防げるのではないか?
もし何ヶ月もこのままなら、自治体のボランティア組織が疲れ果て、集うボランティアの方も遠のき、いずれは機能しなくなりかねない。
私は関西に帰ったら、このボランティアの動向について深く調べたいと思う。

最後に。くにP、今日は一日中被災地の案内して頂いた事感謝いたします。
かつて、阪神淡路大震災直後に灘で見た光景と同じく、この体験は私が死ぬまで焼き付いているだろうと思います。
次会う時は後ろ髪が一切引かれない様な気持ちで、一緒に観光ができたらいいですね。そのためにも、経済がめげぬ様に仕事をしつつ、東北の地をこれからも見守りたいと思いました。
本当にありがとうございました!
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4月30日 亘理町復興支援2日目  

2011.05.01
Sun
11:14

東北入り3日目。

朝は岩沼で乗り換えをし、岩沼のコインロッカーに荷物を入れてから亘理へ向う。
朝8:20に亘理町復興ボランティア活動センターに到着した。既に継続組にも長蛇の列。
最後尾で「継続最後尾」という紙がリレーされる。

と、建物から昨日班長だった方が出て来て、私を含めてメンバーを見つけてくれた。
なんと、まさかの1番出発班。既に新規の方を含めて300人以上の方で埋め尽くされていた中での先陣。

昨日の13人から2人を引いて+9人の合計20人体制。人数も多いので、班長が朝会を始める。自分も作業中の安全意識向上をさせて頂いた。

朝9:30スタート。居室と廊下の床板を外し、床下の泥を撤去する。
チームワークも冴え抜く中、今日のメンバーには建築監督のお仕事をされているかたが2名で来てらっしゃってたので、彼らが少し技術の要るクランク部の床板を華麗に剥がしていってくれた。

本日できた事は昨日以上だったのは言うまでもなく、玄関前の泥や家の裏に散らばった物の片付けもほぼできた。
家の中も、泥はけはほとんど終わり、風呂場に積もった泥と、トイレの床下のみになった。
午後3時に無事終了して道具洗い。途中、写真と裁縫道具を見つけ、洗ってお母さんに渡した。

昼休みに少し散歩をしてきた。
鳥の海というワンドがあり、海岸線にかかる橋の上には漁船が乗っかっていた。
御主人によると、鳥の海から波が来たということで、御主人の家より海側は黄色や赤い紙が貼られたお宅がたくさんあった。
常磐道で遮られた波は、渦を巻いたが、波は止まると勢いをなくし、ゆっくり引いて行った。もし常磐道が無かったら常磐道から先も同じ事になっていただろうし、このお宅も流れに耐えきれず流されていただろうと話してくれた。
あの地震から、幾度となく聞いた言葉がある。

「生きると死ぬは瀬戸際にある」

これは、もちろん運だけのものではない。しかし「人の力ではどうしようもできないこともある」という事は認めざるを得ないかもしれない。それでも、その一瞬から生き抜いた人達は、決して折れない。

明日は雨のため中休みを取り、ラスト1日のために体力を回復する。
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大○さん

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